lie-lie-lie

絵嘘を否定するつもりなどまったくない。
だけど、嘘-lie には不安定で浅はかでそして甘やかな側面があることは誰もが知っていることだと思う。

嘘は貴重だからこそ価値があるのであって、年中ゴロゴロとしているのはみっともない、と思う。
狼少年は結局不幸になったのだもの。

わたしが唯一許されると思われる嘘は相手を傷つけず、それが一生バレないとき、もしくは明らかに嘘だとわかるとき(ジョーク)、そして自分以外のだれかが利するとき(誰かのためになる時)だけだと思う。
嘘には覚悟とそして知性が必要なのだ。きっと。
でも残念ながら多くの人はその才能を持ち合わせていないと思う。でもどうして嘘をつくのだろう。つく必要もないような嘘を。

ほんまちゃんにはその才能がないことを早くから理解していたので、嘘は必要最低限だけだ。ほとんどつかない。

自分が一番得する嘘、は一見得のように見えるときがあるかもしれない。だけど結局は損だと思う。
信頼を失うから。信頼できない人は苦手だ。少なくともわたしは。

私が好きなのは率直で素直でちょっと不器用な人だ。本来は捨ててもいいものを大切に、たいせつにしてしまうようなそんな人。・・・たぶん。(-_-:)

me時々、ふと考える。
自分はどんな人になりたいのかっていうことを。

わたしはよく「贅沢」という言葉を遣うのだけれど、それは状態のことでモノのことじゃないのだ。

いつも幸せを感じて生きること。これは贅沢。

たくさんのものに囲まれて、生きること。これは贅沢とは限らない。

人はなりたい自分にしかなれないと思う。自分が本当に望むモノにしかなれない。何をいいと感じて、どんな風に選択を重ねてきたか。そういう普段の、人間の奥底に潜んでいる「価値観」だけはどんなに地位や名誉や財産を得たとしても手にすることは難しいのだと思う。

育ち、というのは半分は生まれた環境が、そして後の半分は自分自身で創れるものなんじゃないかしら。センスともいうけれど。おいしいものがわかるセンス、美しいものがわかるセンス、どんな選択をするか・・・それもすべて同じセンスのような気がする。経験の数だけでは補えないもの、それがセンス。結局最後はどこかでつながっている。そしてたぶんそれは、信念じゃないかしら。

お金があっても、いつも不安でそれを失う恐怖を持ち続ける人はきっといつまでも幸せにはなれない。

自分だけの価値観を持っている人はいつも自由で、そのままで、嘘がないものだ、と私はそう信じている。
そしていつか自分もそうなりたい、なれると本気で信じている。

だからきっと今日も自由でいるために真剣に仕事をして、誰かと出逢い、好きだと思うものを探して、幸せを感じて生きているんじゃないか、と思うことにしている。それが幸せだと感じなくなるまで。

Comments

  1. 福沢諭吉訓の一節を思い出しました
    ちょっと哲学的な時があるね ムフフ
    俺も少し考えて見たくなりました。

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  2. あら、諭吉先生の思想に近づいてました?(笑)
    哲学は好きなんですよ。
    本は眠くなるので読まないけど。大学は哲学部に行こうかなって思ったこともありました。ちょっとだけ、ですけど。(-_-:)

    Reply

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