熱々の紅茶を啜りながら、毎朝パソコンの前でカチカチと音を立てて考え事をする。
ブックマークしている情報を一通り眺めて、つくづく思う。
ああ、よかったなぁって。
わたしは幸運なことにネットやパソコンとの距離がとても近い位置にいて、そのすごさを、でもその危うさも含めて愛している。
情報が溢れている時代だと人は言うのだけれど、わたしにとってはそれは当然のことで、たくさんある情報の中でする判断こそが人に求められているのだと思う。
ウェブだから信じられなくて、新聞やテレビは信じられるという人をわたしは理解できないでいる。情報は情報だ。新聞やテレビだって信じられないこともあるだろうし、それはウェブだってそうだ。人もそう。
すべては同じなのだ。同じスタンスで判断してもいいのではないか、な。ただそうなると、明確な基準やルールというものがセレクトする側に求められてくる。
そのウォンツに明確な答えを提案し続けないといけないなぁ、と思う。
わたしはいつも、情報の向こう側にいるヒトを見ることにしている。その人が信じられるなら、その情報を信じる。そうでない、もしくはわからないのなら、少し疑う。コミュニケーション、その人との経験を重ねればそれはいつか答えにたどり着く。
そしてきちんとヒトに逢ったり、自分の目で本物を見ることも忘れたくない。ネットはあくまでも補助だ。道具。うまく使いこなすためには、やっぱり何かと触れ合うことなくしては語れない。それがなくて、PCの前にいるだけでは新しいことは生まれない。分かった気になっちゃいけない、といつも自分自身に言い聞かせている。
いいものを見て、すばらしいものと出逢って、いろいろな経験をする。
世界を知ること。
そういう感触を探ることはいくつになっても続けたいと思う。