今の自分を創ってきたもの

ほんまちゃん

ここのところゆっくりと考える時間があって、なんとなく思い出すことや考えることがある。わたしはやっぱり変わっているかも知れないなぁと。というか面白い経験をしてきたかも、と思う。それは本当にわたしにとって宝物だし、感謝すべきことなの。

基本的にわたしは自分ができることは誰にでも出来ることだと思っているし、普通のことだと考えていて、だからただの一度も自分をすごいと思ったことがないし、たぶんこれからもないと思う。そして自分のことを美人だと考えたこともない。(正直に告白すれば、不細工だと思ったこともないが・・・)とにかく、ありのままを受け入れてきただけ。チャンスがくれば、やってみたいと思えばチャレンジし、やりたくない、欲しくないと思えばやらない。もちろん、失敗だってたくさんある。言わないけど・・・(笑)。それでもあきらめない。まだ知らないことがたくさんあるし、チャレンジしたいこともたくさんある。

わたしは死ぬまで幸せでいることが目標で、たとえばうなるほどのお金も必要ないし(わたしは別に豪華な家に住みたいとか、高級車に乗りたいとか、モノが欲しいとか、豪遊したいとかそういう類のものには一切興味がない)、ただ自分が好きな人(男女問わず、中間の人ももちろん!)に興味を持ってもらって、楽しく話をしたり、たまにデートなどしてもらったりして、お互いなんかちょっと幸せじゃない?なんて気持ちでいられたらいいなぁと思っている。(そうしているなかでいつか結婚したいなぁと思える人が出てきたらすればいい、とその程度に考えている、今も。)そして毎月一度大好きなすし匠でお鮨が食べられればいいんじゃないかなぁ?と。

今のわたしは今まで出逢ってきた人たちにとても影響を受けていて、いいときもわるいときもそれはそれで糧になってきたなぁと思っているのね。それはやっぱり20歳の時には分からなかった。(もちろんそのときはそれなりに分かっていると思ってはいたんだけれど)30歳を前にして初めてわかることだったりする。だからこれからも、分かることが増えていくと思う。それはとても楽しみだったりする。

20歳にして80歳のおじいちゃんに「ほんまちゃんって学校の先生みたいだね」といわれてびっくりしたこととか(もう少しでニックネームが「ほんま先生」になるところだった)、もちろん、ガイジンによく間違えられることとか、興味のないことにはからっきし才能がないこととか、時々かわいいいたずらをするとか・・・まわりの大人にいろいろなことを教えていただいたり、怒られたり、幼い頃に両親に毎週のようにあちこちに旅行に連れて行ってもらったこととか、おいしいものを教えてもらったりとか。あの時友達はこんなこと言っていたな、あれはこんな意味だったのかも・・・と今になって思ったり。初めてお小遣いをためて買ったものが実はパソコンでかなりオタッキーな選択だったこととか。生まれて初めてイギリスに自由旅行にいったこと、それも両親に直前まで秘密で。実は悪女です、計算です、すいません。ウヒヒ。

そういうたくさんの自分の決断をすごく貴重だったと思う。そしてなによりもそういうひとつひとつが愛おしくて、面白いと思ったりする。そんな中で人を見る目を育てられたこと、そして自分の意見を常に持てることが一番のギフトだと思う。きっとみんなそういうものをもっていて、そういうよさを大切にして生きているんだろうなぁと。

バンコクに来ると、いつも冷静にそして真剣に自分の内面と向き合えるのがまた不思議。やっぱりアジアにいるととても落ち着くのです。典型的アジア人だ、と思う。そしてそれは自由に生きることと同じなのかもしれない。

そしてそれはこれからも続いていくんじゃないかな。チャレンジの繰り返し。いまさら自分をやめられないもの。こうなったらとことんやるしかないわよね、と苦笑いしながらほんまちゃんを続けていくしかないか、と思う。そしてそれはわくわく、ドキドキする。いつも自分で自分を好きでいられるように選択を繰り返すだけね、とビール片手にぶつぶつ言っている。

Leave a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA