ちょっとだけ、欠陥なほうが幸せかもね。

たぶん、わたしはちょっと欠陥なヒトだと思う。
・・・なんでこんなこと書いているんだろ。(自分ツッコミ?)
いろいろと考えすぎてしまうことも、なんとなくものごとを予測できてしまうことも、すてきな友達をみつけられることも、いつもそのままでいることも、誰かを幸せにするのが好きなことも、嘘がつけないことも、素直な自分でいたいと思うことも、いつも失敗ばかりでひどく落ち込むのだけど、でもそれは怖くない(怖いけど乗り越えられる)ことも、自分のことを表現するのが下手なのも、不器用なのも、全ては何かが足りないせいかも知れない。
足りないから、新しいものを見つけるためにがんばる。
足りないから、素敵な友人に囲まれている。そして、いいところを吸収させてもらっている。
足りないから、考える。悩む。でも、悩めるってことは幸せなことなんじゃないか、と思う。
自分の前には常に選択肢があって、2つ、3つ、時には10の中から選べる。
選べるから、悩む。
生きることの心配がないから悩んでいられるのかな、と思う。
昔は選択肢が今よりもずーと少なくて、悩むことも少なかったかもしれないなぁとなんとなく、思う。
だけど私は、悩んだとしても今の、この場所から離れたいとは思わない。
これと同様に海外はとても好きなんだけれど、日本を離れようとは思わない。
今いるところが私の居場所だと思うから、そこで自分らしくがんばるだけだ。精一杯やるだけ。
海外はつねに休息の場所で、新しい自分をみつけることができる場所だと思う。
環境はヒトを創ると思うから。変わりたいときには、海外へ行く。行きたいと思うときに行く。
それがわたしのポリシーなのだ。
お金をうまく遣うことで、もっと効率よく稼ぐことが出来るようになるし、経験を積むことでもまた、成長できる。悩むことで、新しいことが分かるようになる。
すべてはうまく回っていると思う。この世のものはすべて循環しているのかな。
ひとりになることで、誰かと一緒に、家族と一緒にいることの大切さに気がつけるかもしれない。そして、ひとりでいることの大切さも。
そう考えると、欠陥人間も悪くないかな、と思う。
いつでも、成長の余地が残されている。
いつでも、何かがうまくなっている。
よくなるというのは、嬉しいこと。幸せなことだと思う。
でもいつかは、今よりもずっと素敵なヒトになって、自分の周りにいるヒトをもっともっと幸せにできたらいいなぁと思ってるのでした。

Comments

  1. 素晴らしい気づきですね。
    こういうのを言葉として残すことで、
    無意識層に必ず植え付けられる何かが
    あると私は思います。
    もちろん、いい意味の何かです。
    私もステキな気づきをいただきました。
    ほんまちゃんさん、ありがとう。

    Reply
  2. fezさんありがとうございます。
    そんな立派な気づきじゃないですけど、(笑)なんとなくいつも考えていることがうまくまとまった気がします。
    無意識の中の意識がきっと、これからも私を助けてくれると信じています。
    こちらこそ、素敵なコメントに勇気付けられました。いつもありがとう。

    Reply
  3. 素敵なお話ですねぇ。足りない物があると自覚するからこそ、それを補えるように努力したり、向上心を持ち続けていられるのですよね。
    最近自分も感じたのですが、こういったことを「考える」だけでなく、紙に書いたり、ブログに残すことの重要性をヒシヒシと想いました。
    >でもいつかは、今よりもずっと素敵なヒトになって、自分の周りにいるヒトをもっともっと幸せにできたらいいなぁと思ってるのでした。
    自分も深く共感です!!お互いがんばりましょうね。

    Reply
  4. dufferさん、ありがとう。
    いつも足りない何かに目が行ってしまうのだけど、いつでも前向きで素敵な人でいたいね。
    そうそう、ブログは誰かのためではなく自分に一番刺激をくれていると思います。
    これからも、頑張って自分を成長させて行きたいですね。お互い頑張りましょう。

    Reply

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